遮るもののない暴風と海岸という名の極限環境
週末、愛車のエンジンの鼓動を道連れに、私はしばしば都市の喧騒を離れ、波飛沫が舞う海岸線へと向かいます。
目的は、単なるツーリングではありません。
そこに自生する植物たちが、いかにして過酷な環境を生き抜き、その「造形」を獲得したのかを自らの目で確かめるため。
名付けて「ネイチャー・ライド」です。
海岸という場所は、我々のガレージとは比較にならないほど暴力的なまでのエネルギーに満ちています。
雲一つない晴天時、海辺の照度は優に100,000ルクスを超え、逃げ場のない直射日光が植物の細胞を焼きにかかります。
さらに、絶え間なく吹き付ける海風は、時として風速10m/sを超え、空気中に含まれる塩分が植物の水分を容赦なく奪い去る。
高光量・強風・塩害という三重苦は、まさに植物にとっての戦場です。
しかし、この極限状態こそが、植物を甘やかすことなく、凝縮されたフォルムへと追い込んでいく。
我々がガレージでアガベや塊根植物を「締めて育てる」際の手本は、すべてこの過酷な自然の中に存在しているのです。
ヘルメットを脱ぎ、潮風に晒されながら岩場に這いつくばる。
目にする光景は、園芸店の棚に並ぶ姿からは想像もつかないほど、野性的で、剥き出しの生命力に溢れています。
タイトゴメに見る生命の執着
波打ち際に近い岩礁地帯を丹念に観察すれば、日本古来の多肉植物であるタイトゴメ(大唐米)が、まるで岩の一部であるかのように張り付いています。
ベンケイソウ科セダム属に分類されるこの植物は、その名の通り、米粒のようなふっくらとした葉に水分を蓄え、乾燥という死の脅威を回避しています。
特筆すべきは、その根の在り方です。
土などほとんど存在しない、わずかな岩の亀裂に細い根をねじ込み、強風に吹き飛ばされぬよう、まさに「ど根性」を地で行く執着を見せている。
建築に携わる者として、その構造的な安定性には驚かざるを得ません。
彼らは、自ら環境を整えることはできない。
与えられたその場所で、いかに効率よくリソースを確保し、エネルギーのロスを最小限に抑えるか。
タイトゴメが選んだのは、節間を極限まで詰め、葉を密集させて表面積を減らし、蒸散を抑制するという戦略です。
その美を凝縮した姿は、我々が理想とする、徒長のない引き締まった塊根植物の姿そのものと言えるでしょう。
聖域を侵さぬ美学。撮るのは写真だけ
海岸や山岳地帯に自生する植物の多くは、その希少性から、あるいは土地の所有権、国立公園・国定公園といった法的枠組みによって厳重に保護されています。
特に自然公園法等の法令に基づき、指定された区域内での植物の採取は、たとえそれが小さな一株であっても厳禁です。
目の前にある自然の傑作を、自分のガレージに持ち帰りたいという衝動や欲望をコントロールできてこそ、一流の趣味人です。
我々の目的は、彼らの生き様から学び、その美を精神に刻むことであって、自然を略奪することではありません。
ライカのファインダー越しに、岩場に咲く生命の輝きを切り取り、その環境データを記憶に留める。
持ち帰るのは、数枚の写真と、自生地の過酷さを知ったことで深まる植物への敬意、そして帰り道を楽しむための高揚感だけで十分です。
「獲る」のではなく「観る」。
この距離感こそが、自然に対するマナーであり、ガレージの主としての矜持でもあります。
夕暮れ時、潮風で少しだけ重くなった愛車に跨り、再びアスファルトへと戻る。
バックミラーに映る海岸線は、今日も変わらず過酷で、そして美しい。
ガレージに辿り着いたとき、いつもの植物たちが、これまで以上に愛おしく、そして尊敬すべき戦友のように感じられるでしょう。

